部落の高齢化、若い人たちの部落離れは、いまや全国的な共通の問題として挙げ
コラム | 2024年11月16日
コラム | 2024年9月11日
NHKの連続テレビ小説「虎に翼」がいよいよ佳境を迎えようとしている。
1960年代の学生運動華やかしき時代にフォーカスされ、登場する人物の中にも学生運動に参加し、社会変革への動きを番組に取り入れようとする時代背景が描かれようとしている。
1970年代、企業の採用にあたって、企業側が求めたニーズは、学生運動への参加の有無であり、どのセクトに属しているのか。逮捕歴はあるのかなど、採用後、セクト的な組合結成が模索されたり、ひとりの首謀者によって、職場がひきまわされることがないよう、事前に身元を調査し、こうした“輩”は排除するつまり、不採用にしておくという企業防衛が図られていたことは周知の事実である。
1980年代に入ってからは、学生運動も含め新興宗教などの宗教団体への関与など、企業側からしてみれば、採用してからの職場内での混乱などを最小限に食い止めるためにも、まずは“事前に臭いものには蓋”という考え方が当時は徹底されていたのだろう。
1990年代に入ってからは、小学校や中学校、高校でのいわゆる授業への参加の状況把握が企業としては知りたい項目にあがってきている。つまりは、長期離脱、不登校という学業という成績を判断基準だけにするのではなく、採用後、長期病欠や出社拒否など、戦力として扱いにくい可能性のある人物を、事前把握して不採用にしておくというこれも企業防衛の発想といったところか。
2000年代に入ってからは、SNSでの動向に注目が集まり、採用予定の高校生や大学生が、アカウントを複数持ち、他人になりすましたり、ひとのSNSのやりとりを監視したり、時には誹謗中傷といった書き込みを行ってはいないかなどを身元調査の対象に加えている企業も少なくないようである。
企業がひとを採用するという歴史において、その時々の時代背景が、企業にとって、排除の論理となっていることがよくわかる。「学生運動華やかしき時代」「新興宗教団体が拡大してきた時代」「不登校、引きこもりなどが話題になった時代」「SNSにおける裏アカウント時代」などが時代背景となり、その時々に身元を調査し、だからこそ、採用にあたっては、そのひとの「適性と能力」を基準として採用選考を行うという徹底が、国によって呼びかけられてきた歴史でもある。
こうした採用における身元調査で、「学生運動参加の有無」が調査対象の主流の時代から一貫して存在したのが、応募者が被差別部落出身者かどうかという調査である。必ずしも部落の関係者かどうかが、調査対象の真ん中に位置していたのかどうかは別として、調べたいニーズの中につねに「部落の関係者かどうか」が調査対象に含まれていたほど、部落差別の根深さがうかがえるケースでもある。
つまり、採用や結婚における身元調査は、その付加価値こそが重要な調査会社側の“売り”ということになる。付加価値とは、身元を調べるという行為は、個人の現在までの経歴や素性(バックグランド)を調査するということであり、そこには「血筋・家柄・生まれ・経歴」が含まれることは当然といえる。「家族の中に障がいを持ったひとがいる」といったケースや「家族の構成している人物に逮捕歴がある」、さらには、「現在、住んでいるところは同和地区ではないが、この家族は同和地区出身者である」、「弟は、中学時代から引きこもっており、現段階では、家で暴れるなど、家族への暴力が続いている」というように、その企業に応募した人物の個人評価ではなく、“素性”が調査の付加価値として依頼した企業に報告されるという仕組みとなっている。
それを1998年に発覚したアイビーリック差別身元調査事件では、付加価値を表す記号として「※」←こめじるしとして暗号化され、依頼した企業には「※」(調査不能)という結果で報告されていた。依頼した企業にとってみれば、調査不能がなぜなのか、どこに原因があるのかといったアンサーは必要なく、「調査もできないような危ない“素性”の人物」は、不採用という差別調査が行われていた時代である。
まちがいなく現在は、SNS調査が身元調査の中心であることに疑いはない。しかし、その全貌は未だ闇の中といったところだ。スマホ依存に侵された人物が、もうひとりの自分(裏アカ)をつくりあげ、誹謗中傷を繰り返すという負の側面を企業側が本格的に調査し、本人を特定していくという身元調査が行われている。たしかに裏アカを使っての誹謗中傷はいけない行為であり、本人への猛省を促すことは言うまでもない事だ。しかし、そのひとを調査し、あぶり出し、うちの企業には採用しないと身元調査を繰り返す企業の差別体質は許すことの出来ない違法性ある行為である。
「虎に翼」の主人公・寅子(ともこ)ではないが、長年の企業のこうした体質に「はて?」と問いたい今日この頃である。