Vol.287 与野党伯仲の政局 安倍政治からの脱却をテーマに

10月27日におこなわれた第50回衆議院選挙で自民党は大きく議席を減らし、目標としていた自民・公明の与党での過半数を下回った。実に自公政権が総選挙で過半数を割り込むのは15年ぶりだそうである。

与党で過半数に満たなかったということは、自公だけで連立を組み内閣を成立させるという事自体が無理になったため、自民党は、首相指名選挙で野党側との話し合いをおこない、協力を模索するとみられており、ある自民党幹部は、「協力する相手は国民民主党だ。政策面での協力、あるいは閣外協力をお願いするのが基本だ」との声も聞こえている。

まずは首相指名にむけ、与野党それぞれ水面下の攻防が激しくなって来ている。今後どのような内閣の布陣が構築され、どの党と党とがタッグを組むのかなど、政治の動向が注目されるところではあるが、そこに行き着くまでの考え方を整理したい。

9月の与野党それぞれの党首交代からこの総選挙を経て来年7月の参議院選挙に至るまでの一連の政治過程において、与野党ともども一貫して新たなステージにワンステップあがらなければならない最大のテーマは、なんと言っても「安倍政治から脱却できるかどうか」だとわたしは思っている。それは、野党だけではなく、与党自民党にも当てはまることであり、2010年ぐらいから続く安倍政治から完全に違う次元の政治に生まれ変わらせることができるかどうかが、今後の政治の試金石だと強調したい。

なぜ安倍政治から脱却すべきなのか。
そのポイントのひとつは、裏金問題をはじめとする自民党の“政治とカネ”問題という旧来の政治体質を完全に葬り去ることである。石破さんは、国会での審議を尽くしてからの解散を自民党の総裁選挙で強調していたが、首相就任後、手のひらを返すように早期解散を主張し、選挙戦に突入させた。森山幹事長の傷が浅いいまこそ解散して信を問うというアドバイスを受け入れ、裏金議員の公認や比例への重複立候補を外すなどの処置をおこない、何とかして選挙戦になだれ込めば、「ミソギは済んだ」と言い張って臨時国会を乗り切れるだろうと計算したのだろう。そこに非公認の自民党総支部への2000万円支給問題などが発覚し、結果惨敗という結果を招いたことになる。

そもそも事の本質は、そんなところには存在しない。
裏金問題は、立法を職務とする国会議員が率先して法の裏をかいくぐって不正的な経理をおこない、しかもそれを派閥として組織だって長年にわたる慣行としておこなっていたという重大な政治の誤りであり、それは安倍派だけが責任を問うという個別具体な案件ではなく、政治家そのものの集団としての派閥力学とえこひいきの体質などをこの際徹底的にあぶり出し、発展途上国的な政治そのものの体質の改善を徹底的に論議し、国民の前に明らかにするというのが国会の義務そのものである。それを裏金議員を非公認にするなどして何人かを落選させただけで、「はい、この件については終了」では有権者が納得しないことは言うまでもない。

この旧態依然たる政治体質を放置し続け、それを巧みに利用してきたのが、安倍政権そのものであり、統一教会との組織的関係や、利権を分配したとしか言いようのない加計学園や森友学園問題など、あらためて安倍政治の総括を国会で論議し、場合によっては法的責任の追及も含めてもう一度国会論議というテーブルに引っ張り上げる必要がある。ひとつひとつの実態を究明して二度と腐敗した政治に逆戻りさせない法律の制定などを通じて、安倍政治からの脱却を仕上げることである。

そしてもうひとつが、少数者への保護のための人権から、何人たりともという“人権”の論議にアップデートさせることである。安倍政治によって、2016年から続いた「障害者差別解消法」からはじまり去年の「LGBT理解増進法」まで、マイノリティへの差別撤廃の宣言法という建付けを突破し、差別や人権侵害そのものに規制・罰則・救済を加えていく人権論の議論にもちこむことが、安倍政治からの脱却の総仕上げであることを強く訴えるものである。

そもそもそれを党内野党の立場で安倍政権を批判してきたのが、石破首相であり、ここに切り込むのが、石破首相の義務ではないだろうか。果たしてその時間は残されているのであろうか。