Vol.291 情報が偏るSNS 生涯教育としてのメディア・リテラシー教育が必要

2024年も年の瀬を迎えている。
大谷選手の50−50が超話題に・・・また夏のオリンピック・パラリンピックでの日本選手の活躍、そしてひさしぶりの与野党伯仲という結果をもたらした衆議院選挙、政治とカネに揺れた国会などなど、話題の多かった2024年も幕が降りようとしている。

今年の大きな特徴のひとつに、「えっ、うそ!」と、声が出てしまうというハプニング?ともいえる幾つかの不思議が挙げられるのではないだろうか。ひとつは、東京都知事選挙の石丸現象であり、ついで、衆院選での国民民主党の躍進で、そして兵庫県知事選ではないだろうか。

従来の投票行動とは違う結果を招くというネット選挙時代が間違いなく、いままでとは違う次元の選挙スタイルに変貌しているという時代認識が必要になってきているようだ。

自民党と社会党との55年体制的な選挙を経験してきた者からすれば、まったく違う選挙戦であり、政策ビラを作成し、手弁当で配布し、駅頭に立ち、政策を訴え続け、時には、戸別に訪問し、立候補者の政策を有権者に届け続けるというどぶ板的選挙手法では、有権者から飽きられ、そっぽを向かれるという時代変化が到来してきているのではないだろうか。

SNSを駆使した新たな選挙戦は、オールドメディアと称される従来の新聞、テレビ、ラジオといった中立公正を基本とする報道内容を凌駕するものとなり、一方的で怪しげな陰謀論やエセ情報が数多く拡散され、ネットを制するものが選挙戦の勝利に近づくという新たな政治・選挙闘争のスタイルが危険性を内包させながら確立されようとしている現実があるようだ。

とくに兵庫県知事選では、選挙期間中に「斎藤知事は港湾利権にメスを入れたことによって闇社会とそこに追随するマスゴミに潰された」とX(旧ツイッター)で拡散され、マスコミの陰謀で、正しい主張をしている斎藤さんが追い込まれているとネット上でバズるという広がりを見せた。SNSでは、開いた情報に似た情報が表示されやすい仕組みになっていることから、開けば開くほど違う視点の情報は淘汰され、視野が斎藤さん擁護の方向に一方的に偏っていくというネットならではの選挙戦に突入していってしまったようである。

県政を改革しようとする斎藤知事が既得権益を守ろうとする勢力に潰されそうになっているというストーリーがSNS上に作られ、それが一気に拡散し、斎藤勝利という結果につながっていった知事選となった。

ネット上での誹謗中傷に家族が耐えきれなくなって議員を辞職するという事態にまで発展している。議員の自由な発言がネット上で批判の対象となり、攻撃的で胡散臭いX(旧ツイッター)が拡散され、攻撃の対象となった人物にはそれこそ徹底的に陥れるというイジメの構造がネットで執拗に繰り返されるという事態である。

わたしたちが求めた成熟した民主主義とは相反するネット社会の到来であり、ここにメスを入れなければ、民主主義は崩壊し、自由闊達な相手をリスペクトした中での議論など、到底実現しない人権無視な世界観である。

小中からの学校教育においてメディアリテラシー教育が徹底され、子どもたちがネットにアクセスし、SNSを活用する能力が高まりを見せ、メディアを通じたコミュニケーション能力を学ぶ機会が保障されるようキチンと学校教育のプログラムに組み込まれなければ、ネット上での一方的なフェイク情報が各々の一方的な判断で、刺激的なタイトルに惹かれてネットを開き、そうした陰謀的なフェイク情報やエセ情報が刷り込まれ、攻撃的で暴力的なSNSの書き込みにつながっていくことは火を見るよりも明らかだ。

オーストラリア議会では、16歳未満のSNS利用を禁止する法案が可決され、全世界的な注目となっている。16歳未満の子どもが利用できないような措置を講じることを義務づけるもので、違反した場合は日本円でおよそ最大49億円の罰金が科される内容となっている。歩道を歩くひとたちのほとんどが前屈みで、自分のスマホに見入っている日本でもメディアリテラシー教育の徹底を生涯教育の観点で、すべてのひとに学ぶ機会の提供が求められていることは言うまでもない事実だろう。
年の瀬に、考えさせられる大きな大きな課題である。