衆院選結果から考える

日本の今後を左右する重要な第46回衆議院選挙は、自民党が294議席を獲得する圧勝で、30議席の公明党と合わせて全議席の3分の2(320議席)を上回る議席を獲得した。

新聞やテレビは、一斉に「自民党の圧勝」を伝えた。果たしてそうだろうか。
自民党が勝利したのではなく、民主党が負けたのだ。しかも自民党に敗北したのではなく、民主党自らが転けたのだ。失策、痛恨のエラー、つまり自身の失政とつまずきにより、国民の支持は民主党を離れた。果たしてこれほどの敗戦から民主党を立て直し、二大政党制の一翼を担う党に復権することが出来るのか。あらたな民主党の顔を決める代表選挙も自民党の内閣人事に話題をさらわれた感があり、盛り上がりに欠けている。

これほど拙速に次の代表を選ぶ必要があるのだろうか。政府与党でもなく、内閣人事を決めるわけでもない。野田代表のまま年を越し、選挙敗北の総括をきちっとおこない、それからあらたな布陣、体制に移行するべきではなかったのか。次の民主党代表が首相をつとめるわけではない。ここは、ゆっくり選挙総括と今後の日本のありようを党内で議論し、次の選挙に備えることが寛容ではなかったのか。野田首相が民主党代表に選出されたとき、彼は、「ノーサイドにしましょう!」と党の団結を呼びかけた。その時から、実は内部分裂を含んだマグマが党内で沸々といまにも爆発しそうな勢いにあったのではないかとの推測が、頭をもたげるのは、わたしだけだろうか。

その後、消費税アップを含んだ増税の問題やTPPへの参加表明、沖縄へのオスプレイの配備など、民主党の政権公約・マニフェストに含まれていない政策が矢継ぎ早に進行していった。また、民主党がマニフェストで掲げた政策を実行できなかったことについても批判が集中した。とくに「人権侵害救済法」の早期制定をマニフェストに掲げながら「人権委員会設置法」が閣議決定しながら制定までこぎ着けなかったことは痛恨の極みと言える。

そもそも政権交代以前に建てた見通しの甘さ、政権を運営する中で、とくに震災対応に関する誤りなど、厳しい批判を受けるべき点が多い。「負けるべくして負けた選挙」。これが今回の総選挙の本質のようである。しかし、負けた側が存在しているということは、勝った側がいるのである。それが、自民党だからこそ、負けた民主党の責任は大きい。それは、安倍晋三総裁率いる自民党は、政権公約で憲法改正と国防軍創設を明確に打ち出し、一方で生活保護の削減を主張している。今日の日本や日本人は個人主義になり、義務感を失ったと戦後民主主義に悪罵を投げかけるような党の代表が、選挙に勝利し、これからの日本の首相に返り咲くのである。

大震災と原発事故の後、日本という国家が国民を守れるのかどうかが問われている。国家のために国民が存在する時代に戻るのか、国民のための国をつくる努力を続けるのかが、今回の選挙で問われるべきであったものが、民主党の分裂で政党が乱立し、争点が定まらない選挙となった。景気対策でこれまでも長く続いた自民党に政権を委ねた方が無難ではないかとの有権者心理が働いたこと想像に難くない。
果たして民主党の再生は期待できるものとなるのであろうか。(A)