なぜ今「主権回復の日」 取り戻すべきは平和と人権

「日本を取り戻す」-このどこかで聞いたフレーズを、皆さん覚えておられますか。昨年の12月におこなわれた衆議院選挙での自民党のキャッチフレーズだ。
わたしが疑問に思うのは、その取り戻そうとする日本の中に果たして沖縄は含まれているのだろうかということだ。
それは、安倍首相が今年の4月28日を政府として「主権回復の日」と位置づけ、都内で祝賀式典を開くことを表明したことによる。

3月7日の衆院予算委員会で安倍首相は次のように述べている。

「主権を失っていた7年間の占領期間があったことを知らない若い世代が増えている。日本の独立を認識する節目の日だ」、「若い方々には、長い占領期間があったことを知らない人も増えている。60年前に独立したことをしっかりと認識する。わが国の未来を切り開く決意を確固たるものにするため、本年4月28日に政府主催の記念式典を実施する方向で検討している」。

その国会での発言を受け、3月8日の毎日新聞に元那覇市長、瀬長亀次郎さん(故人)の次女、内村千尋さん(68)のコメントが紹介されていた。

「オスプレイの押し付けなどで本土から今も置き去りにされたままと思っている沖縄からすれば『4.28』を祝うという発想自体が理解できない」との困惑のコメントだ。沖縄県民の感情からすれば、この日は日本から切り離されたいわば「屈辱の日」である。

1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効で日本は主権を回復したといわれているが、実際には、沖縄や奄美諸島は日本から切り離されて、米国の支配下に置かれたままであった。

この日は講和条約とともに旧日米安保条約も発効した。今日も存在する過重なほどの基地負担もここから端を発している。今年は戦後68年に当たり、講和条約発効からは61年になる。いわゆる切りのいい節目の年ではない。なぜ今、主権回復の日なのか。

太平洋戦争の末期、悲惨な戦場と化した沖縄は戦後、米軍の統治下に置かれ、多くの土地が軍用地として米国の支配下に置かれた。現在も沖縄を苦しめる基地問題の原点だ。

「日本を取り戻す」というのなら、なぜ、米軍基地の撤廃を主張しないのだろうか。基地こそ押し付けられたものであることを考えれば、そこに踏み込むことこそ「日本を取り戻す」ということではないか。

安倍首相の「取り戻したい」日本は、戦前回帰して、軍拡・徴兵・思想弾圧という方向に持っていこうということなのか。最近の若者のブログに亡命や国外逃亡を真剣に考えているという記事を頻繁に目にする。平和と人権こそをこの国に「取り戻さねば」と思う(A)。