部落の高齢化、若い人たちの部落離れは、いまや全国的な共通の問題として挙げ
コラム | 2024年11月16日
コラム | 2013年4月12日
「まさに民族排外主義だ!」
「韓国人をたたき出せ」などと連呼するデモが各地で繰り返されている。
在日コリアンが多く住む大阪・鶴橋で、3月31日の日曜、旭日旗などを掲げた約50人がJR駅前で「朝鮮人を追放しろ」「死ね」などというスローガンを叫んでデモを繰り返しており、大きな声を張り上げた。その後、100人超に膨れあがり、目抜き通りの御堂筋などをデモ行進。「ゴキブリ」「殺せ」「差別しろ」などの言葉も飛び交った。
ひどい時代である。東京の町田市では、小学校の全新入生に配布している防犯ブザーを、朝鮮学校の児童だけには配らないことを決定したそうである。学校のいじめが社会問題化しているにも関わらずだ。のちに撤回したものの、教育委員会が率先していじめを行うとは、怒りを通り越して情けない。まさに言葉もない状況だ。教育委員会は住民感情に配慮と言うが、「国籍を問わず、町田に住む子供たちの安全を守ることが教育委員会の任務だ」という立場を貫くべきではないだろうか。
こうした一連の差別扇動に対して、民主党の有田芳生氏ら有志国会議員が国会で抗議集会を開催している。その主だった主張は、「日本でもヘイトスピーチ規制を議論すべきである」との意見のようだ。有志の弁護士12人も東京弁護士会に人権救済を求めている。
ヘイトスピーチ(憎悪表現)とは、人種や宗教など、ある属性を有する集団に対し、おとしめたり暴力や差別をあおったりする侮辱的表現を行うことをいう。わたしたちの身近で起きた事件として記憶に新しいのが、在特会(在日特権を許さない市民の会)による、奈良の水平社博物館差別街宣事件(2011年1月)である。名誉毀損として、原告の在特会メンバーに水平社博物館に対し慰謝料150万円の支払いを命ずる判決が、下されている。
日本にはこうしたヘイトスピーチを犯罪として取り締まる法律がないため、侮辱罪もしくは、名誉毀損でしか訴えるすべがない。つまり、法的手段が存在しない状態である。逆にヘイトスピーチ(差別発言)に激怒して、その発言者を殴るような事態になれば暴行罪・傷害罪に問われかねない。
憲法21条のいわゆる“表現の自由”が存在する。差別や侮蔑の意志や集団による差別扇動も“表現の自由”だという主張である。そして、差別や侮蔑の意志は、あくまで著しく名誉を傷つけられたする名誉毀損罪や侮辱罪の適用で事足りるというのが現在の日本の法の解釈だ。さらには、一定の個人や団体への攻撃ならば、名誉毀損罪や侮辱罪が成立するが、相手が「朝鮮人」「韓国人」「部落民」と言うだけでは抽象的すぎて、刑法の適用は難しいというのが現状のようだ。
抗議の意志を示す市民の動きも広がっているようだ。
3月31日の鶴橋駅前では、「仲良くしようぜ」「恥を知れ」「差別はアカン」などのプラカードを掲げた約200人が、反朝鮮デモ側を包囲するように、道路をはさんで前と隣に並んで並列するという行動に出たようだ。
カウンターと呼ばれるこうした抗議行動は、新大久保でのツイッターを機に広がったようである。それが大阪にも飛び火し、ツイッターで参加を呼びかけた。「まともに相手にすることないと思ってきたが、見過ごせるレベルでなくなった」と主張している。それに触発されるように地域の住民も動いた。反朝鮮デモのネット告知を見てすぐ対抗デモを申請したのだ。「あんな発言を子どもたちに聞かせたくないし、共生を培ってきた地域の人間に対し、差別を先導する人の居場所をなくしたい」とのコメントが新聞に紹介されていた。
国際的な潮流は、差別や人種主義を断固として否定している。そうしなければ成熟した国として扱ってもらえないというのが時の趨勢だ。憲法を軽侮し、排外主義をあおっている連中こそが、日本を孤立させていると言っても過言ではない。しかし、イヤな時代に突入していることは実感として認識しておかなければならない。少しずつ右へ右へと右傾化していることに危機感を募らせる必要があることはいうまでもない。
歴史がたどった平行感覚を失い左に寄りかかっていく平和運動ではこうした勢力に対抗できないだろうと筆者は認識している。だからといって「こうあるべき」という市民運動も提案できていない。また、そうした許される時間もなくなってきていることも事実だ。新しい仕組みの新しい市民運動を大いに議論し、実行に移したいものだ(A)。