部落の高齢化、若い人たちの部落離れは、いまや全国的な共通の問題として挙げ
コラム | 2024年11月16日
コラム | 2013年6月25日
大阪市内のある支部の大会に府連の代表として参加させてもらった。
ここはもっとも多いときには1300人にせまるほどの人口があったそうだが、現在では半数どころか、3分の1以下になってきており、支部運営も含め厳しい組織状況が報告されていた。
高齢の親だけが地域に住み続け、子どもたちは所帯を持つ段階から離れていくというケースが増えているという。その親が亡くなり、葬儀になったときには、当然子どもたちが葬式をとりしきる訳だが、そうした葬儀の際には、支部として供花や樒を供える場合に、「部落解放同盟○○支部」ではなく、「○○支部」とだけ記載してもらうことも多々あるらしい。
支部では、何らかの理由で、地域を離れていく人たちにも、「なにか相談があればいつでも顔を出してほしい」「たまには、地域の祭りや取り組みに顔出してやぁ」と“ふるさと”を忘れないでほしいとアピールしている。
その支部で、支部の有志や支部の活動に協働する人たちでつくったNPO法人なども呼びかけ、はじめて試みる「同窓会」がひらかれたという。解放会館、青少年会館、老人センターや子どもたちが通った小学校や中学校などに勤務経験のある人たちを一同に招いて開催された「大同窓会」の当日は、150人程度の方々が出席したらしい。懐かしい顔や当時を振り返るエピソードなど、楽しい会合となったようである。
「そこに生まれ育った人たち」や「移り住んできた転入者の人たち」、または、「地域の公的施設に従事したことのある人たち」や「地域の子どもたちを教えた先生たち」など 被差別部落の地域というフィルターを一度は、くぐり抜けた人たちが一同に集おうとの企画は、わたしが、「部落解放運動の総合的展開」と提案し、これからの部落解放運動は、部落解放同盟だけで行うものではないと訴えた考え方を「同窓会」という名で体現してもらったようなうれしい気分になった。
「総合的展開」という固くて運動用語的な言葉を、簡素でそれでいて思いが伝わる言葉、「同窓会」として表現してもらったことに、敬意と感謝である。まさに同じフィールド=被差別地域で同じ目標でさまざまな活動に取り組み、思いを共有した人たちを、“同窓”としてネットワークさせた地域の実践に、各支部も大いに刺激を受けてもらいたいものだ。
いうまでもなく部落解放同盟だけが、地域を変えてきたのではない。運動を牽引してきたのも同盟組織だけではない。水平社以来90年を超える部落解放運動には多くの協力者や支援者、ともに汗してがんばってきた同志がいることを忘れてはならない。そして、そういう人たちとこれからもスクラムを組んで取り組むのも部落解放運動である。
今、地域を離れた人たちが、「子どもの結婚で」「自分の就職で・・・」、ひょっとしたら部落差別に遭遇するのではないかという不安に駆り立てられている。「週刊朝日」の差別記事に影響を受け、自分の身元が部落出身だと暴かれるような事態になることへの不安感もひろがっている。
被差別部落を離れたからと言って被差別部落出身であるというレッテルが剥がれるわけではない。黙っていれば、「隠し通せる可能性のある部落出身者」であると同時に、また「暴かれる可能性のある」のが被差別部落出身という出自の問題なのだ。この“心の葛藤”が被差別部落を離れた出身者を不安に落とし込めている最大の要因である。
被差別地域という枠を乗り越えた“同窓会”的な部落解放運動、お互い実践に取り組もうではないか。