差別の現実伝える多様で柔軟な「教宣」を

水平時評 府連書記長 赤井隆史

この間、中央本部の任務で全国をブロック別にわけて、教宣の責任者と機関紙担当者に集まってもらい、今後の「解放新聞」のあり方について論議を深めてきた。

「支部長が1軒、1軒手配りしている」「女性部が新聞を手配りしている」など、涙ぐましい努力が続けられている。その一方で、「県連から各支部長宅まで郵送しているが、支部長の家に山積みされている解放新聞を目にすることが時々ある」「支部長の家で会合があれば配布するが、集まる機会がないとなかなか配れていない実情にある」といったことが報告されていた。

組織活動の基本として教えられた「教育し、宣伝し、組織せよ」という言葉を思い出す。部落解放運動に取り組む者に対して、「いまの運動の現状を伝え(教育し)、現在起こっている差別事件や被差別部落の実態などを訴え(宣伝し)、そして、わが解放同盟へ結集せよ(組織せよ)」という運動スタイルである。

しかし、現実は、とどまるところを知らない高齢化である。「支部長の家に郵送しても高齢のため『解放新聞』を配布する元気がない」といった意見が共通の課題として横たわり、「受け取っても字が小さくて読めない」「切り詰めた生活で新聞代は厳しい」といった理由から減部に歯止めがかからない。

この現状に手をこまねいていても機関紙の部数増が期待できるわけではない。しかし、歴史ある「解放新聞」を休刊に追い込むわけにもいかない。五里霧中(ごりむちゅう)とは言い過ぎだろうか。こうした困惑している状態には、文字通り原点にかえって考えるしか方法はない。

1922年3月3日全国水平社が創立された。全国から何も知らされずにあれほどの人たちが全国から集ったわけではない。同年の2月21日に開かれた大阪中之島公会堂での「大日本平等会」による「同胞差別撤回大会」の際、西光万吉さんらはこの大会で「全国水平社」創立を知らせる呼びかけのビラをまき、演壇に立って熱弁を振るったとの記録が残されている。ビラ・チラシが最大の効果を上げた端的な例である。

部落差別がこの社会に現存し、いまもなお苦しむ人々がいることを訴えることが、機関紙の役割であることは言うまでもない。しかし、有料である以上、買わない人へは届かないという欠点を持つ。ある県連では、手刷で無料の「解放新聞県連版」を発行して、すべての被差別地域とそこに住んでいる住民に届けたいとの意気込みを披露してくれた。

「解放新聞」という“機関紙”から部落解放運動をみたとき3つの課題が浮き彫りとなってきている。そのひとつは、“財源問題”であり、もうひとつは、“解放運動を臨場感もって伝えるツールのひとつ”であり、さいごは、“すべての被差別部落関係者を鼓舞する役割”だ。この3つの役目を「解放新聞」が果たしてきたのである。この役目をこれからも果たし得るのかという課題がわたしたちに突きつけられている。答えを早々に出さなければ、部落解放運動におけるエアーポケットに突入し、さらに急激に運動が下降してしまうのが現状だ。

早急に改革案が提案されなければならない時にある。第1には、部落解放運動の財源を別に確保していくという方向を導き出すことと、そのことを決断することであり、第2に、解放運動の現状や課題を広く訴えるツールは、なにも紙媒体だけではない。ネットなど多様な方法で、運動を広く全国に知らせるという運動に踏み込むこと。第3は、全国に散在する被差別部落と被差別部落出身者、さらには、解放運動に賛同する関係者など、すべての皆さんに訴えるビラやチラシなど、無償配布できる方法などを検討し、その実現を果たさなければならない。

複雑化するこの社会では、差別や人権侵害の現れ方が多様化してきている。部落差別の当事者である被差別部落出身者にあらわれる差別や人権侵害の形態も複雑系になっており、さまざまな形態で社会から排除されるような差別があったり、地域そのものが空洞化を起こし、同和地区が衰退していく現実など、多様化、複雑化、多元化しているのが今日の部落差別だ。こんな複雑な差別を「解放新聞」だけで伝えようとすることにそもそも無理が生じているのであり、もっと多様で柔軟な教宣ツールが必要になっているのだろう。「解放新聞」の改革は、部落解放運動の大改革を意味する。答えは急がれる。勇気を持って決断することが求められている。