部落の高齢化、若い人たちの部落離れは、いまや全国的な共通の問題として挙げ
コラム | 2024年11月16日
ニュース | 2016年12月4日
部落解放府民共闘会議の結成50周年を記念して狭山事件・石川一雄さんの講演会が12月3日、大阪人権博物館(リバティおおさか)でひらかれ、加盟の各団体や市民など約350人が参加。大詰めを迎えた第3次再審闘争でなんとしても勝利しようと決意をかためた。
石川さんは、獄中で文字を教えてくれた看守さんとの交流について話し、来年こそ再審無罪を確信していると勝利までの支援を訴えた(以下に講演骨子)。
獄中で文字を覚え無実を訴え
「石川さんはたぶん無罪。しかしこのままでは死刑になる。文字を覚えてみなさんに無実を訴えなさい」。自分の担当となった看守さんがクビを覚悟のうえで8年間もの間、マンツーマンで文字を教えてくれた。
仮出獄後、看守さんの家にいってはじめてわかったのは、看守さんのおつれあいが自分の両親のふりをしてペンや切手、はがきなどを差し入れてくれていたこと。日記につけておられたので何を差し入れてくれたていたのかがわかった。差し入れは看守さんが転勤した後も続き12年間におよんだ。
この看守さんがいなければ、今も読み書きはできなかっただろう。
最初は「無実」「助けて」など無実を訴えるために必要な漢字から教えてくれた。「書けば覚えるので何回でも書け」といわれ懸命に書いた。当時は戦前の辞書を使っていたため、今でも昔の漢字を使ってしまうことがある。
看守さんは後々まで残ると短歌も教えてくれた。これまでに5000首くらいは読んでいると思う。
今も集会に行くたびに歌を詠む。解放同盟の支援がはじまったころ読んだ歌に「わが躯幹 暗夜の獄に埋もれども 心は常に荊冠旗の下」がある。日教組の大会に呼ばれたときには「教育の 機会奪われ 過去の我 生死を賭して 獄に学ばん」と詠んだ。
今では看守さんの息子さん、娘さんも自分を支援してくれている。石川とつきあっているのでとつき合いを止めるといった家もあるというが、看守さんは死ぬまでつきあうと言ってくれている。
来年こそ再審無罪をと確信している。そのためにはみなさんの声が不可欠。必ず司法も動く。さらなるご支援をお願いしたい