部落の高齢化、若い人たちの部落離れは、いまや全国的な共通の問題として挙げ
コラム | 2024年11月16日
ニュース | 2013年1月1日
部落解放同盟大阪府連合会
執行委員長 北口末広
昨年の「年頭にあたって」、第2次世界大戦中のイギリス首相ウィンストン・チャーチルの言葉を引用して「悲観主義者はすべての好機の中に困難を見つけるが、楽観主義者はすべての困難の中に好機を見出す」とのべた。
今年は昨年末12月16日の衆議院選挙をふまえ、再度同じことを申し上げたい。自民党の圧勝によって民主党の歴史的な敗北が決定的なものになった。こうした時代的背景を厳しく受け止めることが、「すべての困難の中に好機を見出す」出発点である。民主党は敗北の原因を厳しく総括する必要がある。それが再起の原点である。歴史は時代がめまぐるしく変化することを顕著に物語っている。
1941年12月8日、ハワイ真珠湾への奇襲攻撃に「成功」し、戦争賛美の熱狂の中で日本は米国をはじめとする連合国軍に勝利すると確信する人々が、当時のメディアの影響もあって多数を占めた。しかしその3年8ヵ月後の1945年8月にはポツダム宣言を受け入れ無条件降伏した。そして時代の世論は大きく変化した。
この間、日米双方とアジア諸国をはじめ多くの国々に多大な犠牲者を出した。多くの人々の命を奪い、未曾有の一般市民が戦争の災禍にみまわれた。3年8ヵ月の間に国際情勢も日本の立場や世論も180度変化した。わずか3年8ヵ月である。
それはこの10年においても同様である。2005年9月11日、「郵政解散」にともなう衆議院選挙において自由民主党が圧勝した。多くの評論家は自民党の大勝、強さを強調した。しかしその4年後、2009年8月30日の衆議院選挙で民主党は歴史的勝利を果たし、戦後50年以上続いた自民党政権を倒し、民主党政権を樹立した。その熱狂から3年4ヵ月後の昨年12月16日衆議院選挙では、逆に民主党が歴史的敗北を期した。
まさにシーソーゲームのような政治状況である。より短い期間で民意が変化したこともあった。05年から2年も経っていない07年参議院選挙で民主党が大勝した。それが当時の安倍首相の唐突な辞任につながった。
05年から07年選挙までの2年間に何が民意を変化させたのか。自民党も民主党もその主張に大きな変化がなかったにもかかわらず世論は大きく変化した。気まぐれな気分のような世論が左右に揺れた。
移ろいやすい浮動層をどの政党が取り込むのかによって選挙結果は大きく変化する。民意はまさに「移ろいやすい」気分のようだ。その大衆的気分を軽視してはいけない。それらの気分を凝視しなければ時代を変えることもできない。
以上の状況の中で政治情勢が徐々に悪化している。平和と戦争、人権と差別、福祉と反福祉という視点で時代を凝視すると戦争や差別、反福祉に時代が少しずつ傾斜しているのではないかと指摘せざるを得ない。
こうした厳しい政治情勢の中で、私たちは選挙の勝敗に一喜一憂することなく、いかなる政治情勢であっても、着実に部落解放・人権確立、平和、福祉の方向に時代を進めなければならない。失敗は成功のもとであり、成功は失敗のもとといわれる。
部落解放運動の先達は多くの困難を乗り越え全国水平社、部落解放全国委員会、部落解放同盟と名称を変更しながら時代に柔軟に対応し原則を貫いてきた。第2次世界大戦という厳しい時代を地下水脈のごとく潜り抜け、戦後いち早く部落解放全国委員会として部落解放運動を再建した。自由に発言することもできなかった時代、「非国民」といわれても部落差別撤廃に取り組んだ先達の労苦に思いをはせれば、今日の厳しい政治状況は十分に変革できるものである。今一度、逆転したシーソーを再逆転する準備を着実に整えることである。オリンピック選手は敗北しても四年間をかけて日々の厳しい練習に耐え、メダルを目指す。
私たちも「一時的な成功に酔うことなく失敗に屈せず、しかも失敗から学ぶ勇気を持つこと」という言葉ふまえ、厳しい政治情勢の中を衆議院選挙の敗北に屈せず、柔軟性と原則性をふまえ部落解放・人権確立に向け着実に前進する2013年にしなけばならない。